第93回「『自分には関係ない』という袋小路」

 こんばんはー。
 なんか亜熱帯みたいになってきましたねこの国の天候は……(-_-;)
お昼のいきなりの雨、濡れませんでしたか? 御風邪など召されませんように。私は既に召してしまいました(苦笑)
声が全然出ないんですよ。酒焼けしたスナックのママみたいになってます。包容力もスナックのママみたいになれればいいのにと思いますが……。
 さて、回を重ねるごとにどんどん好き勝手言い放題のこの店長ブログ(笑)
今日のテーマは「私には関係ない」というフレーズについてです。
もともと、私このフレーズ好きじゃないんですよね。甘ったれと自分勝手の極みみたいなオーラを感じません? 感じませんね。
でも、つい口をついてしまうのもこのフレーズです。私はコレを言った人の半分ぐらいは本気でそう思ってるんじゃなくて、感情がつい出口を求めて飛び出しちゃったんじゃないかなぁと考えていますが。
 ともあれ、私はおそらくこのフレーズは、視野を小さく見ると確かにそうかもしれないけれど、大きくみるとだいぶ的外れなんじゃないかな、と思っています。
 
 例えばですが、「ある人」がいきなり通行人にナイフを持ち出して襲ったりする事件が起きたとします。通行人はもちろんその人と関係がないし、襲われる理由もない。突然の災い以外の何物でもないのです。
 翻って「ある人」の方を見ると、「誰でもよかった」と犯行の動機を語るでしょう。とにかく人を殺したかった、と。なぜこんな恐ろしい行動に出てしまうのでしょうか。
 この手の犯行は許すことができませんし、非常に怒りを感じます。しかし、「ある人」が幸せに生きていたら、彼は犯行に走ったでしょうか? 私にはそうは思えません。
「ある人」は彼が生きていた長い時間、さまざまな他者に攻撃を受け続けてきたのでしょう。傷つき、日々の生活におびえ、誰も助けてくれなかったのかもしれません。傷ついたものは、どうしようもない憎しみをもって、また別のだれかを攻撃してしまう。人は悲しいことにそのようにできていると、私は考えています。
 いじめもそうですね。いじめも私は被害者側だったので、本当に憤りを感じますが、いじめの加害者の方も、おそらくは親やその他の人間に迫害を受けていたのでしょう。幸せな人がいじめをするとは思えない。
 繰り返しますが、だからといって通り魔的犯行やいじめは決して許されるものではありません。私が言いたいのは、傷つけられた者はまったく別の誰かを傷つけてしまう事がある、ということです。
 この負の連鎖、「関係ない」とは言えないと思いませんか? 逆にいえば、誰かの痛みを止めることで、別の誰かの痛みを止めることも、我々にはできるということです。それはとてもすばらしいことだと思います。
 「関係ない」とは断じずに、できる範囲でちょっとずつ誰かの痛みを癒す輪ができれば。そう思います。
いやされーはそんな世の中づくりのお手伝いを目指しています。
 さぁでは今日はこの辺で! 今週もお疲れさまでした! 土日お仕事の方、お疲れ様です!


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