第77回「『正直者は馬鹿を見る』というすれ違い」

 こんばんはー。今日は久しぶりのお湿りですね。というか、そろそろ梅雨が近づいてきましたか……今年は長雨になるようです。新しい本買おうかな。
 さて、最近は案件がなくなったり、計画が遅々として進まなかったり、トラブルが発生したりとなかなかネガティブな事が多く振りかかってきます。でも、正直そんなに凹んでません。なぜかと言いますと、私の一年のうち、ひと月ふた月は必ずこういう月があるので、慣れちゃいました(笑)。いや、もちろんある程度凹んでますが。。。
 努力しても失敗したりすると、繊細な方やまじめな方は「正直者は馬鹿を見る」という言葉を引用したくなる人もいるようです。この前Facebookでそのように書かれている方拝見し、無意味に励ましたくなりました(笑)。この言葉を最初から使いたがる人なんていないのです。この言葉を使うということは、やっぱり傷ついたその末なのです。
 でも、待ってください。私はそう言いたいのです。それは違うのです。
 そもそも「正直に生きよう」と思っている人は、正直に生きること、それこそが目的であって、損得は二の次なはずです。人生を生きる魂と誇りの話だと、私は思っています。その人にとって、正直に生きたその誇りこそが唯一無二の財産であり、魂の輝きなのです。誰にでも出来る事ではないでしょう。
 しかし、全てのケースで正直に生きれば、少なからず祖語が発生するのは誰が考えてもわかります。「得をする」そのことが目的であれば、人を傷つけたりなんだりしても、得をしようとするでしょう。そういう人間もいーーっぱいいます。私は好きではないですが。
 だから、「正直に生きた」そのあなたの魂の誇りに対して、「ほら、やっぱり『正直者は馬鹿を見る』んだ」という慰め方をご自分になさらないでほしいな、そう思います。悔しい日も悲しい日も、努力が報われない日もあることでしょう。でもどうか、自分を貶めるような自暴自棄にならないでほしいです。必ず誰かが見ていて、そしてあなたが見ていて、人生はまだ続くのですから。


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